2020年、誰も彼も透明のシートを纏っている。よそよそしく目を逸らし、耳と口で会話する。

最後に友人と一つの皿を共有したのはいつだろう。

来るクリスマス、不意にキスすることすら許されない恋人達。「愛し合っているのなら、0.03m/m離れなさい」というあの有名なキャッチコピーに倣って言えば、私達は今、愛し合っているからこそ1メートル以上の間隔を空ける。

遠く離れた友人からのプレゼント、私好みのアニメ

The Midnight Gospel (2020) /IMDb

サイバースペースでしか会ったことのない友人に勧められ、Netflixオリジナル・シリーズのアニメ『ミッドナイト・ゴスペル』(The Midnight Gospel)を観た。

ペンデルトン・ウォードが脚本を務めるこの『ミッドナイト・ゴスペル』は、コメディアンであるダンカン・トラッセルのPodcast『Duncan Trussell Family Hour』を聞いたウォードがそのPodcastにおけるインタビューのアニメーション化を発案したことで実現したらしい。

『ミッドナイト・ゴスペル』クランシー役のダンカン・トラッセル(Duncan Trussell)


シミュレーターを利用し並行世界を訪れ、そこで出会う人々にインタビューする主人公のクランシー。

トラッセル自身が主人公クランシー役を演じ、またそのインタビュー内容はトラッセルのPodcast『Duncan Trussell Family Hour』のアーカイブから引用されている。

クランシーは並行宇宙ないしは仮想現実に存在するトラッセル自身なのかもしれない。

Duncan Trussell in The Midnight Gospel (2020) /IMDb


『ミッドナイト・ゴスペル』は「アニメーション付きのラジオ」と言い換えることができるだろう。どうりで情報量が多いわけだ。

ポップでサイケデリックでグロテスクな世界の中で、クランシーとゲストはいつも哲学的あるいは形而上学的な話を繰り広げていた。

遠くなるフィジカルな距離、近づくサイコロジカルな距離

風船に入って愛する人に会いに行く男性。
U R A Q T(you are a cutie:可愛い君)なしに免疫(quarantine)を綴ることは出来ない。
you can’t spell quarantine w/o U R A Q T. ( photo by @maxwellswift ) @jermcohen on Instagram


『ミッドナイト・ゴスペル』は私好みだった。完全に恍惚となってしまった。

現実から何億光年も離れた場所まで私を連れて行ってくれるファンタジーな世界観と、誰もが向き合わなくてはけない現実問題や過去についての思索。瞬く間に展開され膨張していく違和感に没入し、何度も浮足立つのを感じた。

これは勧めてくれた友人にとってもお気に入りの一作になったはずだ。それも理由のひとつだと思うが、その友人は「君なら絶対感受性を持てる作品って言いきれる」というメッセージを添えて『ミッドナイト・ゴスペル』を私にプレゼントしてくれた。どんなものが私の感受性に作用するのか、彼はそれを知っている。

でも私達は「この世界」で一度も会ったことがない。

きっと「この世界」で私達が会う日は、現在から程遠い未来に設定されている。もしかしたらサイバースペースでしか会えないまま、それぞれの人生の幕が降りきってしまうかもしれない。

でもその友人は私のことをよく知っている。毎日テーブルをシェアしてランチしていた大学の友達よりも、その友人は私のことをよく知っている。私もその友人のことをよく知っている。

ウクライナの文化・情報セキュリティ省が始めたキャンペーン「Art of Quarantine(検疫のアート)」のポスター。
《Social Distance》 Behance @Looma Creative


もちろん身体同士がソーシャル・ディスタンスをとると共に物理的・身体的のみならず、意識や心同士の距離が開いてしまうことも少なからずあるだろう。

人と人との社会的な繋がりを断たなければならないとの誤解を招きかねず、社会的孤立を生じさせる可能性を帯びている、という理由で「ソーシャル・ディスタンス」という言葉を、物理的・身体的距離の確保を意味する「フィジカル・ディスタンス(物理的距離)」と言い換えるよう世界保健機関(WHO)が推奨するほどの距離なのだから。

振り返って見る2020年、前を向いた先に描く2021年

非常事態を呼び掛けるため赤色にライトアップされた太陽の塔。
大阪府吹田市(2020年12月03日) 時事通信社


昨日久しぶりに、昔よく行ったコンビニに寄ってみた。レジが無人化していた。

人対人の接触機会を減らすことが求められている2020年、75億人が孤独と対峙する2020年。そしてもうすぐ足を踏み入れる2021年。

「距離」への責任を余人や目に見えない脅威に転嫁し続けているようでは、そのうち時代遅れの人間となり、時間とそれに順応する人々においてけぼりにされしまうだろう。

写真家のアイバン・カシンスキー氏は「社会全体で孤立感が限界まで高まっている中、自分が育った場所まで歩いて行って両親に会えるのは大きな癒しだ」と話す。両親のデボラとダンが窓から外を眺めている。
PHOTOGRAPH BY IVAN KASHINSKI


2020年を振り返る時、失ったものと得たものを想起してみてほしい。そして2021年という未来を眺める時、共存したいあの人とのフィジカルな距離、サイコロジカルな距離をシュミレーションしてほしい。

「人類のため」に距離をどうすべきかは、世界中の偉い人たちが考えてくれる。だからあなたには、あなた自身とあなたにとって大切なあの人のことを考えてほしい。

「私達のため」身体はフィジカル・ディスタンス、意識と心は濃厚接触。

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