これまでケニー・シャーフ(KENNY SCHARF)やダニエル・アーシャム(Daniel Arsham)といったコンテンポラリー・アーティストらとのコラボレーションを実現してきたキム・ジョーンズ(Kim Jones)率いるDIORが、Men’s Winter 2021-2022 Collectionにおいてピーター・ドイグ(Peter Doig)とのコラボレーションを発表した。

Dior Men’s Winter 2021-2022 Collection
Courtesy of DIOR


就任後初のシーズンである Dior Men’s Summer 2019 Collectionでは、ショー会場にカウズ(KAWS)の巨大オブジェクト作品を用いるなど、コンテンポラリー・アートと親和性が高く、斬新なハイパーコラボで毎度喝采を博してきたキム・ジョーンズ。

そんなキムが今回起用したピーター・ドイグの人物像を明らかにしていく。

ドイグの作品には様々な魅力があるが、今回は、鑑賞者がドイグ作品に懐かしさを覚える理由を、“古めかしく”そして“新鮮な”景色を描いたドイグの絵画作品を参照しながら紐解いていく。

ピーター・ドイグが見てきた景色

Peter Doig
Photograph by Daniel Shea for The New Yorker


ピーター・ドイグについて、彼を一言で言い尽くすことは容易ではない。作家が紹介される時、まず出身地と拠点、次いで経歴や愛称を並べられることがほとんどだが、ドイグに関してはどう紹介するか悩んでしまう。

情報量が多すぎるのだ。

情報量が多すぎる割に、作品は“絵画のみ”というスタイルを貫いており単純さも感じる。

とにかく、例に倣ってピーター・ドイグを紹介していく。

Peter Doig looks out over Cyril’s Bay at his home in Trinidad.
W Magazine


まず1959年、ピーター・ドイグはスコットランドのエジンバラに生まれる。運送・貿易会社勤務であった父の転勤に伴い、1962年、カリブ海の島国トリニダード・トバゴに移住。1966年からはカナダで過ごし、1979年ロンドンに移る。

映画『ハリー・ポッター』(Harry Potter)シリーズでヴォルデモート役を演じた俳優、レイフ・ファインズ(Ralph Fiennes)や、森ビル創業者である森泰吉郎を祖父に持つアーティスト、森万里子など、多くの著名人を輩出し、イギリスの主導的美術大学として国際的にも高い評価を受けているロンドンのチェルシー・オブ・アーツ(Chelsea College of Arts)にて1990年、修士号を取得。

TATE BRITAIN EXHIBITION
PETER DOIG
5 FEBRUARY – 11 MAY 2008


1994年、イギリスの国立美術館を運営するテート(Tate)が組織するターナー賞にノミネートされたことを機として脚光を浴び、世界の錚々たる美術館で展覧会を開催している。

17世紀スペインバロック期に最も活躍した宮廷画家であるベラスケスに倣い「画家の中の画家」と評されるほどのコンテンポラリー・アーティストだ。現在はトリニダード・トバゴを拠点にしている。

北国生まれ、南国そして北国育ち。英国で英才教育を受け、拠点は南国、ということらしい。

日常の解釈、非日常という違和感の不気味さ

Peter Doig – Swamped, 1990
Artsy


そんなピーター・ドイグの代表作のひとつ、2015年にクリスティーズ・オークションで約2,600万ドル (日本円にして当時約30億円) で落札された《Swamped》(1990)。日本語では《のまれる》と訳される。

湖が描かれているようだ。

水平線を境に画角がほぼ1:2の割合で分割されており、上部に森、下部に湖が描かれその水面には森の木々が反射し映し出されている。

・・・いや、本当にそうだろうか?

上部の木々が黒と白で構成されているのに対し、水面に映る木々は“赤”が目立つ。また、水の中から鋭い“何か”が生えているようにも見え、そうなってしまうとこれが湖なのかも疑いたくなってくる。

Friday the 13th, 1980
IMDb


見れば見るほど不気味なこの《Swamped》。

実は、1980年に第一作が公開されたスプラッター映画の金字塔『13日の金曜日』にインスパイアされ描画したものなんだとか。

上部が森、下部が湖という構成は間違いないはずだが、一度違和感を覚えてしまうとそこから抜け出すことができなくなる。

鑑賞者はまさに、この作品に“のまれる”のだ。

そして、本作には月明かりに照らされる白いカヌーが描かれている。

《Swamped》のみならず、ドイグの作品にはカヌーのモチーフがしばしば登場する。

カヌーはエレガンスでありながら、同時に不安定な存在。ドイグは『13日の金曜日』におけるカヌーについて「あの映画の中で最も怖くない瞬間」であり「物語の文脈から離してみれば、ロマンティックで夢のようなシーンだと思う」と語る。

Peter Doig – White Canoe, 1991
ICON ICON


映画総体的に観れば不安定なカヌーのモチーフだが、その一コマ、その一瞬を切り取りキャンバスの中に浮かべてみればロマンチックな風景にも思える。

カヌーにも言えることだが、ドイグは誰もが知っているありふれた既存のモチーフを画中に収める。そうすることで鑑賞者がそれぞれに自身の記憶を投影し、テキストを並べ、ストーリーを綴ることができるのだ。

ドイグの作品は“マジックリアリズム”というジャンルに包括されることがある。

マジックリアリズムとは、日常と非日常を一画に、そして同時に存在させる。

そのため、過去のどこかで経験したことがあるような古く懐かしい景色にも、未だ踏み込んだことのない未知の領域にも、はたまたその両者の境界が溶け合い、古めかしく新鮮な景色にもなり得る。

景色は誰のものか、記憶は誰のものか

Peter Doig – Spearfishing, 2013
W Magazine


ドイグはこの《Spearfishing》(2013) を、自分が過去に経験した情景の記憶をもとに描いている。

2012年のある日、ドイグはトリニダード・トバゴの海で、友人とカヤックに乗っていた。古いウェットスーツを着て、ボートに立っている男を見かけたそうだ。その男はスピアフィッシング (魚突き) をしていた。隣には黄色いアノラックを着た、ウィンスロー・ホーマー風の男が座っていた。しばしばボートを自身の作品に登場させ、19世紀アメリカを代表する画家ウィンスロー・ホーマーそっくりな男。

ドイグは、巨大なハタを釣ったスピアフィッシャーの服装に神秘的な何かを感じたそうだ。そして彼らの周りには誰もいなかった。

Peter Doig in his Trinidad studio, February 2, 2013.
Photograph by Simon Zabell


その一年後、ドイグはその景色をスケッチした。

思い返してみれば、スピアフィッシャーらが乗っていたボートはトリニダードの漁船だった。そのように描くこともできただろう。

しかしドイグは、鑑賞者に特定の船を連想させないよう単なる“浮いた船”を描いた。鑑賞者を“のみこむ”ためだ。

ドイグの作品を見れば、彼が人生で出会ってきた様々な景色、ドイグの個人的記憶を目の当たりにすることができる。しかし同時に、鑑賞者自身の経験や普遍的な景色 (集合的記憶) が隆起してくる。

ドイグが南国から北国そして英国を“旅してきた”ことも、彼の作品群から見て取れる。だからこそ多種多様な景色・季節・時間が彼の作中にも、鑑賞者である私達の中にも移い、そのどれもが記憶とリンクし、既視感へと変貌を遂げる。

「どこかで見たことがあるな」という、あたかもその景色が自身のタイムラインに既存であるかのような、奇妙な感覚を覚えるのだ。

この景色は、あなたのものではない。しかし同時に、あなたのものである。

絵画史

Pablo Picasso – Night Fishing at Antibes, 1939
MoMA


更にドイグは、誰もが触れたことのある対象として過去の様々な巨匠たちの面影も忍ばせている。

どこかで出会った、あるいはすれ違った画家の面影を感じ、目撃することができるのもドイグ作品の醍醐味だ。

例えば上記で話した《Spearfishing》はキュビズムの巨匠パブロ・ピカソの《Night Fishing at Antibes》 (1939) を連想させる。実際にドイグの好きな絵のひとつだそうだ。

Peter Doig – Young Bean Farmer, 1991
©Peter Doig. Victoria and Warren Miro. All rights reserved, DACS & JASPAR 2020 C3120
Vincent Willem van Gogh – The sower, 1888
Wikipedia


《若い豆農夫》と訳されるドイグの《Young Bean Farmer》(1991) を一目見れば、ゴッホの《The Sower》(種まく人) (1888) がフラッシュバックするだろう。

ピーター・ドイグの作品は絵画史と密接な繋がりを持っている。過去の引用というより参照というスタイルに近い。

結果として鑑賞者に既視感を生じさせる。歴史と現在のビジュアル・イメージを混在させることで誕生する単一のイメージも、ドイグの作品に親近感を覚える一因だ。

Peter Doig in his New York studio, June 30, 2013.
Photograph by George Whiteside


ドイグの描いた景色を眺めると、あの画家を、あの絵画を思い出す。

ピカソ、マチス、アンリ・ルソー、モネ、マネ、セザンヌ、ロートレック、ゴッホ、エゴン・シーレ、ゴーギャン、ジェームズ・アンソール、ムンク。

でも見比べると“似ているだけの別物”がそこにある。見たことがあるのに見たことがない景色。

古めかしく懐かしいのに、初めて踏み込む新鮮な景色がそこに広がるのだ。

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