小説を読みたいけれど読まない人っているじゃないですか。忙しいとか動画の方がわかりやすいとか、理由を付けて。

でもそもそも小説を読まないことに対して言い訳する意味ってあるのでしょうか?

読書は義務ではないので、やらなかった場合に言い訳をする必要はありません。読書代行とか書評とか、読書を仕事にしていない限り、読書をして得られる権利がないことからも明白です。小説を読める人が偉いわけではありません。趣味でいいんです。

私は読書が趣味でした。しかしここ最近何か月か小説というものを読めないでいた。

理由は簡単です。多大なプレッシャーがかかる。

小説を購入する、という行為は、未来を購入することとほぼ等しいと私は思います。例えば500ページの小説を買ったら、500ページ読む未来を買ったも同然。そのプレッシャーに耐えられなかった。

小説を読みたいけど読まない人へ。あなたもそうじゃありませんか?

500ページ読むことがダルい。そんな人におすすめしたい読み物があります。

短編小説です。

短編小説集を読破する≒分譲マンション全部屋を売る


短編小説とは、400字詰め原稿用紙250枚以上の長編小説に対していわれるもので、一般的には原稿用紙10枚から80枚程度の小説を指します。短編小説よりも更に短い作品をショートショート、ショートショートよりも更に短い作品を掌編小説という。

短編集に収録される一作品を分譲マンション一部屋とします。短編集を読破するということは、分譲マンションの全部屋を売ることと似ている。マンション一棟、全ての部屋に同じストーリーがあるということはあり得ないですよね。全ての部屋、全て違う住人。

つまり短編集を読むあなたは一棟のマンションで、作品を読むごとに、その登場人物に部屋を売っていくんです。そうするとあなたの中でいろんな人生が流れていくことになる。

短編集は長編小説と違って、明らかに分割して読むことができます。「全部屋売る」という意識高い系みたいなノルマを設定してもいいし、そうでなくてもいいんです。

さて、あなたが管理人のそのマンションにはいろんな人が住むことになります。部屋ごとに違う住人、それぞれの人生。でもその一棟のマンションの中で住人同士がすれ違う瞬間や、関わりを持つこともありますよね。伊坂幸太郎の『首折り男のための協奏曲』はそういう短編集です。

長い短編小説


伊坂幸太郎の『首折り男のための協奏曲』は「首折り男の周辺」「濡れ衣の話」「僕の舟」「人間らしく」「月曜日から逃げろ」「相談役の話」「合コンの話」の全7篇から成る短編小説集です。

首を折って殺人をする男に間違えられた男、交通事故で息子を亡くした父親、初恋の男性に思いを馳せる老妻と癌を患う夫、幽霊の存在を否定したがためにいじめに遭っている高校生、幹事欠席の合コンに出席する若者達、探偵兼泥棒、クワガタを飼う小説家。

この世にはいろんな人がいますよね。「自分とは世界線が違うわ~」とあなたが思っているあの人も同じ世界に住んでいる。それぞれ違う人生を歩んでいるのに多少なりとも共通点がある。共通点というより、交差点の方が意味が近いかも。全くの他人と交差する時がある。


言うなれば人生とは「長い短編小説」のようなものです。

昨日と今日は全くの別物であり、同時に一続きのもの。他人の生活と自分の生活も同じです。私の人生の創造主は間違いなく私ですが、私だけの作品でもなければ私だけの住まいでもない。

小説を読んでいると、たくさんの人に出会いますよね。小説の登場人物達と、その小説の読者である私とが出会う、という話です。

伊坂幸太郎の『首折り男のための協奏曲』はそういう短編集です。長い短編小説であり、分割された長編小説。人生みたいでしょう。あなたのマンションの住人となる登場人物達が、その一棟の中ですれ違ったり、言葉を交わしたり、するんです。

だから小説、長編小説にチャレンジしたいけれど、500ページ読むことがダルい。そういう人に『首折り男のための協奏曲』は持って来いな作品だと思います。短編を7作読んでいるつもりが、いつのまにか1冊の長編になるんですから。

小説を読みたいけど読まない人へ


因みに私、最近また読書を始めまして。乙一の『小説 シライサン』を読んでいます。

ホラーなんだけど、これがめちゃくちゃ怖くってまた全然読み進められない。ガタガタ身震いしながら読んでいる。シライサンが私のマンションの住人になるのはもう確定なんだけど、物凄く嫌ですね。

これはまた小説読めなくなってしまうかも、とも思っています。

だからこの文章は小説が読めなくなってしまった未来の自分の為に書きました。今日の私と未来の私を出会わせるためです。プレッシャーに立ち向かう時、味方は多い方がいいからね。

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